お通夜の晩、用意しておけばよかったと思ったこと

家族葬での父のお通夜・お葬式を振り返って、「お通夜の晩、用意しておけばよかった」と思ったこと。

「故人(つまり父)の思い出話をするとき用に、父の最近の写真などを用意しておけばよかった」と思いました。

お葬式前に親族と話をしたり、お葬式後の食事のときに故人の思い出話をするときに、写真やエピソードを語るための思い出の品はあった方がいいですね。話がはずみやすいです。

お葬式には遠方の親戚とか、「最近はあまり連絡をとってなかった」という人も来ますから。ほとんど話をしたことがない親戚とかね。

普通のお葬式の場合、葬儀会社のお葬式プランでは「故人の思い出メモリー」みたいなビデオやスライドなどする場合があるので、「写真やエピソード等、準備してください」と言われるのだと思います。

だから、お葬式の間に「故人の生い立ち」とか、「仕事・趣味」などのエピソードを簡潔にまとめて紹介してくれるので、なにかと便利です。

でも家族葬だと、基本的にそういうものは用意されていません。やるなら自分で用意する必要があるでしょう。

普通のお葬式をした親族の場合、「たぶんこれは葬儀社に資料を出すときに探して、ついでにまとめたのだろうな」とかと思えるものを、お葬式後の会食時にまわしてきたりしてました。

そういう細かい配慮があると、まあなにかと話もはずみやすいというものです(笑)。

我が家の場合は、父の死が急だったこともあって、そこまで気が回りませんでした。写真もお葬式用の写真は用意してましたが、それ以外のものは全然(笑)。

他の親族の「普通のお葬式」のときは、闘病中の写真とか若いときの写真とか、故人の趣味のハンドクラフト作品とか、いろいろ準備されていて。まあ車移動だから少々かさばるものも用意できたのでしょうけれど。

なんというか、へんな言い方ですが「お葬式を盛り上げよう!」的な喪主&喪家の方々の気合みたいなものを感じました。「やはり冠婚葬祭は、個人レベルでの身近な『社交』なのだな」と痛感。

お葬式は「故人をおくること」だけではなく、「人を招くこと、もてなすこと」もセットです。お葬式は、家にお茶しにきた友達をもてなすなんてレベルより、もっと儀礼的な面も大きい社交ですから。

家族葬の場合「派手にせずに家族だけで静かにおくりたい」という面はあるから、そういう意味では多少は気楽。でも親戚との関係もあって、きっちりしなければいけない部分はあります。

「人間関係や今後のつきあいが面倒だから家族葬」という面もあるとは思います(笑)。故人の人間関係を喪主が引き継げない事情なんて、珍しくないでしょう。

でも派手じゃなくても、もうちょっと工夫できたかな…とは思いました。

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